yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

oneone / Alapla

    テニスコーツさやとディアフーフさとみによるユニットの2作目。そのうちゆっくり聴こうと思っていたらまたまたテニスコーツの新譜が出てしまうのでちゃんと聴いてみた。一聴ゆるそうでいて実は尖っている両本体と違ってほんとにゆるいが、本体の要素が出てくると盛り上がるし、両者の声とメロディーはやっぱり心地いい。

 

(古いけど↓新作の音源は上がってないみたい。)

ONE ONE (Deerhoof + Tenniscoats) - YouTube

 

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ダゲレオタイプの女 (2016・仏、ベルギー、日)

    若者ジャン(タハール・ラヒム)は高名な写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)の助手として働き始める。ステファンはパリ郊外の自らの屋敷で、長時間にわたる拘束器具での固定を必要とする世界最古の撮影技法「ダゲレオタイプ」による撮影を娘のマリー(コンスタンス・ルソー)を被写体として行なっていた。やがてマリーと恋に落ちたジャンだったが、屋敷には同様にモデルとなっていたマリーの母親が自ら命を絶った過去が暗い影を落としていた。そんな中、レストランでステファンの仕事仲間ヴァンサン(マチュー・アマルリック)と偶然出会ったジャンは屋敷が都市再開発の予定地に建っており、今なら高値で売れることを知らされるのだが…。監督・脚本:黒沢清、撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ、音楽:グレゴワール・エッツェル。

 

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    いつものホラー映画、犯罪映画の要素に欧州怪奇映画テイストまでぶち込みつつキヨシ史上稀に見る切なくロマンチックなテイスト溢れる映画だった。

 

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    これまでの作品と同様に扉などの無機物をただそのまま写しているだけなのに不気味に感じさせてしまうような感覚がありつつ、それが少しだけ欧州仕様のムードになっていて趣きがあったり、ゴシック風味がギャグすれすれな幽霊表現が楽しかった(温室で登場する母親の幽霊演出は漫画版「AKIRA」で時空を飛んで来た金田くんみたいだったよ)。

 

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    あと、顔付きは綺麗なんだけどどこか不安げで儚げなのがいかにも黒沢清作品に登場してきそうなタイプのヒロイン、コンスタンス・ルソーの瞳が常に揺れ続けているのも不安感を煽っていて良かった。これか演出なのか元よりそういう癖なのかは分からないんだけど。

 

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    他にもフランスで撮影なのに郊外の雰囲気はいつもと同じだったり、映画が犯罪映画方向にシフトする発端、つまりジャンが悪い方向に向かってしまうのがちょっとしたネコババを契機としていて実は道徳的な話たったりするとか、色々と面白いポイントがあった。結論としては黒沢清はどこで撮っても黒沢清映画になるんだな〜というとこかな。

 

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『ダゲレオタイプの女』予告編 - YouTube

 

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花澤香菜 / ざらざら

    作曲の秦基博は「ドラえもん」と「言の葉の庭」の曲ぐらいしか知らなかったんだけど、素直にいい曲だなーと思った。花澤さんの歌詞もまた良かったし、相変わらずカップリング含めてハズレ曲が無く、チーム花澤のセンス最強だな〜とまたもや思い知らされたよ。

 

花澤香菜 『ざらざら』(Music Clip Short Ver.) - YouTube

 

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この世界の片隅に (2016・日)

    昭和19年、広島市江波から軍港の街・呉の北條周作(細谷佳正)の元へ嫁いできたすず(のん(能年玲奈))は、見知らぬ土地と新しい家族との生活に馴染もうと奮闘するが、激化する戦争によって物資は欠乏していく。それでも明るく工夫を凝らして日々の生活を彩るすずだったが、理不尽な暴力の波はただ普通であろうとする彼女の小さな世界をも蝕んでいく…。監督、脚本:片渕須直、原作:こうの史代、監督補、画面構成:浦谷千恵、キャラクターデザイン、作画監督松原秀典美術監督:林孝輔、音楽:コトリンゴ、アニメーション制作:MAPPA

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    凄かった。漫画的表現の面白さを存分に駆使していながら精密なリアリティも同時に獲得した画面の完成度が半端ない。それによって過去の記憶、すずが描いた漫画、そして現在が等価に語られる物語とともに現実と幻想が並列に画面へと織り込まれて、幾重にも重なる層で構成された深みを獲得した作品になっていた。

 

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    もののけ的な存在が生活の中にごく自然に溶け込んだかのような世界の見せ方や、食卓を中心とした当たり前の生活風景を使って緩やかに日常が日常のまま戦時体制に侵食されていく様を描いていたりして、非日常と日常の境界線の曖昧さを見せているのは凄く現代的だったし、旧来的な価値観を現代的なフィルターを通さずに描いているようでいて、メタファーとしてのタンポポの綿毛や、最後に家族に加わる登場人物の存在によって、土地に帰属した生き方や血縁主義を礼賛することを巧妙に避けているなど、精密な時代の描写と魅力的なキャラクターで、一見ノスタルジーを喚起するように見せながら、決してそうした甘いだけの構造にはなっていないことに物凄く練られたバランス感覚を感じた。

 

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    そして些細な生活描写がどの場面も素晴らしかった。娘とこの映画を観た帰りに寄ったスーパーで、高騰している野菜の値段を見て、2人で溜息つきながら、劇中のすずの「このままキャラメルが100円になって靴下が三足1000円になって…こんな世界で生きていけるんじゃろうか」という台詞を、品物をキャベツやレタスに替えて真似しながら買い物してしまったほど台詞ひとつひとつもキャッチャーで印象的だった。

 

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    あと土地のディテールの細やかさと空間の見せ方も良くて、すずたちが嫁入り先へ歩いて行く場面だけで、これから住む家と町との位置関係や、呉の形状までが自然と把握出来てしまうなど映画を支える目に見える世界観の構築も見事だった。

 

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    そして何より主人公すずのキャラクターが魅力に溢れていた。ぽわっとした普段の柔らかな表情から、失敗してあちゃーとなる顔付き、色っぽい顔付き、そして絵を描く際の真剣で凛々しい姿。様々な表情を内包した一人の人間としてすずの存在がリアリティを持つことで、日常が少しずつ変容していく様が生々しく、クライマックスの慟哭が胸を刺した。そしてすずの輪郭をさらに増幅させる能年玲奈の声が圧倒的で、すずのモノローグによるナレーションも全篇に渡っていることもあり、映画の世界観が彼女の声によって成立していたと言っても過言ではないぐらいだった。能年玲奈が芸能界から干され気味で大変だという話題も聞くけど、人気者として次々に映画に出て、テレビドラマにも出て、CMやバラエティで存在を消費されまくって飽きられて消えていくより、今回のような役をじっくりと演じてくれるほうが観ている側にとっては幸福だったりするのかも知れない。もちろん能年玲奈自身がやりたいことはやれる状態であって欲しいけど。

 

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    さらに脇で支えるキャラクターの造形と役者たちも素晴らしかったし、痛切でありながら決して説教じみた暗い作品ではなく楽しさにも満ちていて、何度も観たくなる傑作だったな〜。

 

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映画『この世界の片隅に』予告編 - YouTube

 

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聲の形 (2016・日)

   高校生の石田将也(入野自由、少年時代:松岡茉優)はガキ大将だった小学生の頃、聴覚障害を持つ転校生・西宮硝子(早見沙織)へのイジメを率先して行ったことをきっかけとして周囲から孤立し、以来誰とも打ち解けられずに毎日を送っていた。そんなある日、ある決意をした将也は贖罪の意識か、自己満足の為か自分でも分からないまま5年ぶりに硝子の元を訪れる。5年の間に勉強した手話を使って意思疎通を図り、少しずつ打ち解けていく将也と硝子。そして2人の周囲の人々やかつての級友たちもそれぞれのわだかまりと向き合っていくが…。監督:山田尚子、脚本:吉田玲子、美術監督:篠原睦雄、総作画監督、キャラクターデザイン:西屋太志、音楽:牛尾憲輔、アニメーション製作:京都アニメーション

 

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   聴覚障害者を美少女にしている時点でどうなのかと斜めから見始めたら面白かった…。全方位的に目配せ気配りの行き届いた丁寧な作りで、その弊害で映画としては少し輪郭がぼやけてしまっている部分も感じたが、それでもキャラクターそれぞれを平等に描き切ることのほうがこの作品としては重要だと思えたし、観ていて気持ちのいいアニメーション自体のクオリティの高さと音の使い方で冗長に感じることも無かった。

 

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   聴覚障害者を美少女にしてあざといんじゃないかという勝手な思い込みだったが、可愛いキャラクターのアニメーションでコーティングしているおかげで過剰な陰湿さを避けた正しさを大上段に振りかざさないポップな肌触りになっていて、イジメや障害という題材を扱いつつ、啓蒙的なだけでなく恋愛映画としても、もっと大きな相互理解の物語としても成立させていた。

 

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   様々な人間がいて、それぞれが完全な相互理解をすることは不可能だとしても、隣人として共存出来る可能性を見せてくれる作りも良くて、それは例えば最後までほとんど他人を傷付けていることに自覚がないままでいながらも仲間として打ち解けていく将也と硝子の小学校時代の級友、川井さん(潘めぐみ)の存在とか、混血である将也の姪のマリアや、不登校で、ひょっとしたら性同一性障害でもある硝子の家族の結弦(悠木碧)といったキャラクターの配置にも意識的に表れているように感じた。

 

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   オープニングのThe Whoの「My Generation」から始まり牛尾憲輔の劇伴を挟んでaikoで締める音楽の使い方も良くて、特に「My Generation」は、何の考えも無しにこの名曲を使ってたら頭にきたところだが、もどかしくも何とかコミュニーケーション図ろうとする作品のテーマとシンクロしているからこその起用になっていて納得だったし、劇伴そのものもコーネリアスのアルバム「point」のように音の出所を意識させるような作りで、音そのものが重要な今作に相応しい音楽になっていて良かった。

 

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  硝子が美少女ではなく、将也が恋愛感情を全く抱かなかったとしたら物語が成立しなかったのではないか、というのは気になったけど、一見無垢な存在のように見える硝子のキャラクターは自己防衛の為に確立させていたものだということが、溜め込んだストレスが最後の突発的な行動へと向かわせる痛々しさからも伝わってきたし、そこを経て自らが他者を救う強さを獲得する姿が感動的だったりしたので、この作品はそれでいいんじゃないか、と思った。

 

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映画『聲の形』 本予告 - YouTube

 

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溺れるナイフ (2016・日本)

    海沿いの田舎町、浮雲町に引っ越してきた少女・夏芽(小松菜奈)は、地元有力者の息子で不思議な魅力を持った少年・コウ(菅田将暉)と出会い、魅了される。東京で少女モデルをしていた夏芽の持つ異質な輝きにコウもまた惹かれていくが、2人が存在する高みの世界はあまりにも脆いものだった…。監督、脚本:山戸結希、脚本:井土紀州、原作:ジョージ朝倉、撮影:柴主高秀、音楽:坂本秀一。

 

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    とにかく登場人物達の演技の演出の階層がバラバラで、観ていて居心地が悪かった。劇中で「いい奴」として存在する同級生の大友(重岡大毅)はアドリブ風のとちりをそのまま活かした(ように見える)自然体の演技をしているのに、主人公の夏芽はコミック的表現そのままに地団駄を踏んだりするマンガ演技で、コウやカナ(上白石萌音)はド真剣に映画的演技をやっていて、誰もが作品から浮いているように見えた。小松菜奈は今迄観た作品ではあまり多くを語らないようなミステリアスな雰囲気だったけど、実は「普通」の演技は似合わないのかも知れないとも思った。

 

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    あと、モラルを逸脱した狂気の愛を描いた傑作は多いが、そこに対して無自覚なままに自意識過剰な登場人物たちがムードだけで突き進む今作の物語はかなり胸糞悪かった。社会的モラルがどうだろうと精神的高潔さで繋がっている男女の物語という作りなのかも知れないが、夏芽とコウのキャラクターにはそういう物語としての説得力を感じられなかったので単なるバカップルの話にしか見えなかった。

 

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    夏芽は顔立ちはA級だが、内面はごく普通の少女で、外装の美しさで繋がっていたコウとの関係が中盤のある事件を機に崩れ去ったあと、外見だけではない高潔さを身に纏っていくのかと思ったら、別にそういう描写がないままにクライマックスで再びコウとの関係性を修復していくのを見せられるので単なるバカにしか見えず、それどころかコウと距離を置いたあとに付き合い始めた大友に対して別れを告げる場面で、既に大友を裏切ってコウと関係を持っていることを隠し、「夢を真っ直ぐ追いかけたいから」みたいな理由を挙げていてかなり狡い人間にしか見えない。別に主人公が狡くても構わないのだが、それを尊くて綺麗な存在のように描いているのが嫌だった。

 

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    コウにしても、代々富豪の家柄に生まれた出自の特権を使って勝手気儘にやっているということが魅力の根元になっていて、彼自身が高尚である理由は見当たらないし、夏芽と同様に中盤の事件以降に何か独自の高潔さを身に纏っていくという描写もない。夏芽と同じく見目が良いという絶対的魅力はあるし、そういう美しい2人をより美しく撮るというだけの作品ももちろん有りだが、やはりどこかに共感出来る、もしくは憧れられるだけの理由は作って欲しかった。

 

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    そして祭りで使う面作りの場面で狂気を帯びつつあることは仄めかされるものの、クライマックスでの描写は狂気の暴発というよりは単にシュワルツネッガーばりのヒロイックな行動にしか見えず、正しい血統の美男美女だから社会的モラルの逸脱も許されるというような余りにも気色の悪い地点に着地してしまっているように思えた。

 

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    あと、田舎町を映し出す粗い質感の映像はATG映画調の雰囲気を湛えていたり、椿の赤の鮮烈な画面が美しかったりしたが、一本の映画としての統一感は無く、そこも作品を歪に感じさせた。作中長々と描かれる町の祭り「火祭り」も、町の描写自体が古い慣習に縛られていそうなステレオタイプの田舎町という雰囲気だけで、実際の生活がまるで見えてこないので、一体どんな鬱屈が祭りによって昇華されているのかも分からず、表層的にしか感じられなかった。

 

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    さらに劇中で流れる楽曲も、単体での好き嫌いは別にして、その自意識過剰具合がトゥーマッチ過ぎて邪魔に感じたし、多用される長回しも作り手の思い入れが空回りしているとしか思えず冗長で、もう勘弁して下さいという気分になった。

 

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    と、なんか難癖ばかり頭に湧いてきて、個人的には乗れなかったけど、平坦な作りの少女マンガ映画とは異質な歪んだ世界観に独特の魅力を感じられたりするのかも、とは今更だけど思った。監督の前作も、新井ひとみが可愛いことを抜きにしても面白かったし…。

 

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『溺れるナイフ』本予告 - YouTube

 

 

スター・トレック BEYOND (2016・米)

    カーク船長(クリス・パイン)率いる宇宙船U.S.S.エンタープライズ号は宇宙探査の旅の途中、宇宙基地ヨークタウンに寄港する。そこで異星人から未知の惑星での救難要請を受けた一行は現場へと向かうが、謎の敵クラール(イドリス・エルバ)の襲撃を受けてエンタープライズは大破、ウフーラ(ゾーイ・サルダナ)やスールー(ジョン・チョー)などクルーの大半も捕まってしまう。カークはスポック(ザッカリー・クイント)、マッコイ(カール・アーバン)、スコッティ(サイモン・ペグ)、チェコフ(アントン・イェルチン)ら難を逃れたクルーと、新たに知り合った異星人ジェイラ(ソフィア・ブテラ)とともに仲間の救出に向かうのだった。監督:ジャスティン・リン、脚本:サイモン・ペグ、ダグ・ユング、製作:J・J・エイブラムス、撮影:スティーヴン・F・ウィンドン、音楽:マイケル・ジアッチーノ

 

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    前2作と同様に、何かが違うという違和感を感じつつもきっちり楽しめた。何が違うのかというのは考えてはみたけれど、よく分からない。アクション成分が多すぎることかとも思ったが、TNGでのボーグ戦は大好きだし、そういう訳でも無さそうで、単にB級臭が薄いというのが違和感の正体かも知れない。

 

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    それにしても今作は生身のアクションがちょっと多過ぎで、しかもカメラが動きまくっていて状況を把握出来ず、何をやっているのかよく分からない。そもそもスタートレックという作品にそういう今時の演出がそぐわないというのもあって、古臭くても固定したカメラでじっくり画面を見せて欲しかった。そういう意味ではやはりアクション成分多めなのが違和感の一部とは言えるか。

 

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    そんな今風の画面なんだけど、スクリーンに拡がるヨークシティの未来都市の細密な描写は感動的で、映画でしか体験出来ない圧倒的なスケールを味わえたので、作品としてはそれだけで充分満足出来た。

 

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     あと、リン・ミンメイならぬビースティボーイズが歌姫と化すマクロスな展開はサイモン・ペグ脚本ならではのオタク的宇宙戦だったけど、敵機が爆散しまくる映像はちょっと怖かった。ここは設定がよく理解出来ていなくて、敵機はドローン兵器みたいでもあるけど、有人機のような描写もあったので、人が乗っているのだとしたら凄まじい殺戮シーンでかなり気分悪いが。

 

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     役者やキャラクターに関しては旧シリーズに思い入れが無いので特に違和感も親近感も覚えなかったが、カール・アーバンの古臭い顔立ちのマッコイはスタートレックのクルーに似つかわしくて良かった。あと新キャラクターのジェイラはカッコよかったのでクルーに加えて欲しい。どうせパラレルワールド設定だからメンバーは変動可能な筈だし。それとアントン・イェルチンは正直これまで殆ど意識していなかったけど、亡くなったことを受けて鑑賞していると、間が抜けてはいるけど憎めないという映画のキャラクターと相まって、今更親しみが湧いてきて悲しくなってしまった。次作ではチェコフをどういう扱いにするんだろう?

 

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映画『スター・トレック BEYOND』予告編第2弾 - YouTube

 

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