娘(小二)と鑑賞。中盤かなり退屈そうで「あと何分?」とか言い出してかなりヒヤヒヤしたが、確かに物語としても『トゥモローランド』を目指しているという大まかな目的はあるものの、今ひとつ到達点が曖昧でダレる感じなので、まあ気持ちは分かるかな、という内容。しかし終盤は持ち直して何とか完走した。
ブラッド・バード作品としては『ゴースト・プロトコル』で見せてくれたギミック溢れるアクションにディズニーらしいアトラクション風味を加味して、更に相手がロボットなのを良いことに残酷描写も容赦なく、それでいて『アイアン・ジャイアント』の監督らしいロボット愛もちゃんとあったりで、そこらへんは楽しいのだが、主人公のキャラの弱さが物語全体の推進力を弱めていた。
主人公の女子高生ケイシーは、ひたすら前向きな女の子だが、映画を見ていても彼女が一体なぜそこまで前向きなのかよく分からず、ただの考え無しの馬鹿に見えてしまう。この映画が、かつての科学万能主義の夢の結晶である「トゥモローランド」再生の物語であるならば、なぜ一度は夢の到達点であったはずの「トゥモローランド」が斜陽を向かえたのかという理由、つまり大気汚染やチェルノブイリ、福島の事故での科学万能主義の負の結末や、核兵器、スターウォーズ計画など科学が軍需に取り込まれていった歴史、軍需の要請が科学を推し進めてきたという歴史、そういった諸々を踏まえた上でそれでも彼女が科学に明るい未来を見出すなにかしらの根拠を見せてくれないとなかなか主人公に移入は出来ない。
おかげで敵側との対立軸も弱まり、結局は一個人の悪業のようなものに集約されてしまう展開になってしまっていたのも苦しい。
更にこの映画には、ある種のエリート主義があったけど、それでもこの人物ならば少なくとも物語世界においては人々の先頭に立って然るべきだ、と思える根拠を見せてくれれば部分的に納得出来たかも知れないが、ただの馬鹿では微塵も納得出来ない。
とは言えこの映画、準主役のアンドロイド、アテナが素晴らしかったので全然悪い印象ではない。無敵・可憐・切なさを兼ね備えたロボのリスト(『新スタートレック』のデータとか『ジャックとエレナ』シリーズのエレナとか。当然レプリカントたちも。チャッピーとかはちょっと違う)に久々に加えたくなるこのニューロボを創出しただけでも観た価値があった。見た目は人間と変わらないのに微妙にズレたロボットの醍醐味を味わえたよ。
なので大人になり世界に幻滅したフランクをトゥモローランドの王という敵役に設定して、彼と世界を救うべくアテナが昔日のフランクを思わせる少女ケイシーを連れて、トゥモローランドを目指す、というストーリーにすればアテナがもっと活躍出来たし、敵の設定にも厚みを持たせつつ、機械アテナがフランクを救うという行為を通じて科学が生み出す未来への希望も垣間見せられたのではないだろうか、という妄想が膨らんでくるのだが、そういう妄想の余地も含めて楽しませてもらえた、とは言えるのかな。