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yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

の・ようなもの のようなもの (2016)

    東京の落語家一門である出船亭の師匠・志ん米[しんこめ](尾藤イサオ)は一門のスポンサー企業の会長(三田佳子)から以前一門に在籍し、贔屓にしていた志ん魚[しんとと](伊藤克信)を再び高座に上げるよう要請される。しかし志ん魚は大師匠の死後忽然と姿を消し、以来全くの音信不通であった。困った志ん米は住み込みの弟子で前座の志ん田[しんでん](松山ケンイチ)に志ん魚捜索を命令、志ん田は同じく志ん米邸に同居している大師匠の娘、夕美(北川景子)とともに志ん魚の行方を捜し始めるが…。監督杉山泰一、脚本堀口正樹。

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    冒頭、飄々とした松山ケンイチの佇まいに紛れもなく『の・ようなもの』の雰囲気を感じさせられたところで伊藤克信のシントト登場、ナゼかそれだけで涙が出てきた。前作から引き続きで登場の役者陣はそれぞれのキャラクターが実際の35年を経てきたように感じられるほどに違和感無くスクリーンに登場してきていて、演技演出双方が作品の世界観を見事に引き継いでいた。そして冒頭からスンナリとシントトと並んでみせた松山ケンイチはもちろん、もう一人の新キャラクター、夕美を演じる北川景子も作品のムードを壊さぬままに物語を牽引するヒロインを作り上げていて良かった。北川景子は演じる作品ごとにイメージがまるで違っていて凄いよな…、と改めて思ったりもした。

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    中盤、シントト捜索の為の聞き込みシーンでは森田作品ゆかりの役者たちの顔見せシーンがしつこく続いて、ここは要らんかな〜という気持ちも湧いたが、それも愛ゆえと思えば悪くないし、宮川一朗太が出てきたりするとやはりテンション上がった。そしてそれと前後して映し出される東京の風景で味わえる見たことがないのに懐かしいというような感覚も『の・ようなもの』のエッセンスを継承していた。

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    あと中期以降の森田作品はあんまり観ていないけど、今作には森田芳光の過去作へのオマージュが(多分)随所に入れ込んであって、観ていると中期以降の作品もちゃんと観なきゃな〜、というか観たいな、という気分になってきたので、リスペクト映画としても成功していると思った。さらに今作は単に過去作をなぞったノスタルジーでなく、ちゃんと現代的な映画になっていて、『の・ようなもの』でモラトリアムの居心地の良さと、やがてやって来る現実の苦さの予感を描いていたのに対し、今作ではそれへのアンサーとして猶予期間を経ての生き様を老け切った伊藤克信の姿を使って見せていて、ちゃんと今の時代に続編をやる意味を持たせた真摯な作りになっているのが感動的だった。

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