yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

メッセージ (2016・米)

     世界8箇所の空中に突然現れた巨大な宇宙船。各国が対応に追われる中、アメリカ政府はウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)をリーダーとして、言語学者ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)、物理学者イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)らによる特別チームを編成しこれに当たった。宇宙船には後にヘプタポッド(七本脚)と呼称される知的生命体が搭乗しており、ルイーズたちは未知の言語と文字を持つ彼らとのコミュニケーションを図り、出現の目的を探り始める。ルイーズはおそらく離別してしまったと思われる娘の記憶のフラッシュバックによって混乱しながらもヘプタポッドの文字の解読を進めていくが、世界秩序は宇宙船の出現によって大きく揺らぎ始めていた…。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、脚色:エリック・ハイセラー、原作:テッド・チャン、撮影:ブラッドフォード・ヤング、プロダクションデザイン:パトリス・ヴァーメット、編集:ジョー・ウォーカー、音楽:ヨハン・ヨハンソン、視覚効果スーパーバイザー:ルイ・モラン。

 

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     ネタバレ全開です。

 
     とは言えそもそも世界戦争が始まってしまうかも⁉︎という物語の筋の一本は、そのキッカケを作りそうになるのが中国だという時点で既にネタバレじゃないか、と思ったが。最近のハリウッド映画での中国の扱い方は、ちょっと敵対的で価値観が共有出来ない相手かもと思わせておいて最終的には共闘出来る大物というところに着地させるパターンになっているので、今作で登場する中国軍の実力者シャン将軍(ツィ・マー)も強面だけど分かり合えちゃうんでしょ?と思えてしまうし、多大な資本をハリウッドに投下している中国を悪者にする訳ないやん、という裏事情まで透けて見えて萎えてしまった。

 

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     もっとも今作の本筋はそこじゃない、というのも分かってはいる。しかしせっかく巨大宇宙船がやってきているのに人物のアップばかり見せられる上にもったいぶった演出が続いて、だからと言って異文化間のコミュニケーションを丁寧に描いているかと言うと、劇的にコミュニケーションが捗る部分や主人公が最後に辿り着く思考への過程とか肝心な部分が描かれていないのはかなり不満だった。言語の解析の部分は監督ももっと時間をとりたかったと言っていたので、大作映画としてのバランスの為に泣く泣く削ったというのはあるようなんだけど、それでも主人公の傍らにいる物理学者が全く何も仕事をしていないことも含めて、ちょっとおかしなバランスになっていると思った。

 

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     原作においてはチームで、言語、物理双方から相互理解を進めていき、その過程において思考が変容していくことが本筋としてあったのだけど、今作ではそこを省いて国際的な危機という取って付けたようなスペクタルを加味した上に主人公一人が異星人から選ばれて劇的な意識の変容を行い、ヒロイックな活躍をするというおよそ原作のテイストから逸脱した改変を行った果てに様々な矛盾点だけが際立つということになっていて、なんだかな、という気がした。何より『ドラえもん』のエピソードにおける、「結局誰がこのマンガを描いたんだろうか」というタイムパラドックスを、ギャグじゃなくて大真面目に、しかもドヤ顔でぶつけてくるクライマックスのSF仕掛けは、もうちょっとSF的醍醐味を味あわせて下さいよ〜と思ってしまった。

 

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    あと主人公及び人類の、時間を流れていくものとして認識している世界と、始まりと終わりを円環状態として認識するヘプタポッドたちの世界観は、それぞれの世界に対する認識が異なっているというだけのことで、互いに等価だからこそノンゼロサムゲームが成立するはずなんだけど、この映画での描かれ方だとヘプタポッドがその認識方法を一方的に伝授して人間が超能力を獲得するという形に見えてしまっていて、それなら劇中でわざわざノンゼロサムゲームについて触れる必要がないとも思った。

 

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    そして何も得るものもないのにヘプダポッドがわざわざ飛来してきているのも意味不明で、3000年後に人類に救ってもらう為、などと語らせてはいるが、そんな理由は高速を超越して時間が無意味になっていて、存在の消滅も存続も全てが結論として見えている彼らの行動理由としては全く説得力を感じない。単にモノリス的な超存在にしたほうがそれっぽいから、というふうにしか見えなかった。

 

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    主人公はヘプダポッドの言語を学ぶことで彼らの世界認識を得て、未来を見通せる能力を発現させるのだが、見えている未来世界をあるがままに受け入れてただ流れのままに生きていくというのはどういう心情なのか。死や別離の到来を分かった上で虚無感と諦観に支配されないで毎日をかけがえのないものとして受け入れていくのは素晴らしいことだとは思うが、そんな神のような生き方を主人公が選び取れる根拠が分からないし、クライマックスになって急にヘプダポッドとスムーズに意思疎通が出来るようになるのと同様に飛躍し過ぎとしか思えない。

 

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    原作において過去未来に渡って曼荼羅のように世界を認識するようになる主人公というのは別に未来を分かった上で敢えてそれをなぞっていくというわけではなく、娘の存在を直線的な時の流れの中で感じ取るだけでなく、時の呪縛から解放された世界認識の中で娘が常に遍在するようにも感じられるようになるというもので、それによってただ生まれて死んで喪失してしまうだけという悲しみとは別の、何か希望のようなものが淡く浮かび上がってくるところが感動的だったのに、流れのままに進むとは言えそれを自らの選択によって勇敢に選びとっていく映画版はそれを台無しにしてしまっているように思えた。

 

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    と、なんか文句ばかり垂れた感じになってしまったけど巨大宇宙船が浮かんでいる図はカッコいいし、序盤でヘリの爆音が日常を消し飛ばしてしまう描写とかも好きだったりしたので、SFということで過剰な期待と要求を持った自分が悪い気もする。それに、もうこれでブレードランナー続編には不安しかなくなったので、あとは上がる一方の予定ということで良しとしよう。

 

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映画 『メッセージ』 予告編 - YouTube

 

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