スーパーヒーロー映画「バードマン」でハリウッドスターの地位を獲得したものの現在では人気凋落、更にマンガ役者のレッテルで低評価に甘んじている俳優リーガン(マイケル・キートン)は自己の存在証明の為、レイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語ること」を自らの脚色主演演出で舞台化し、ブロードウェイの世界へと挑む。という筋立てで、それ自体は至ってシンプルな映画。そこにリーガンの役者としてのコンプレックスを明確化する為に役者バカのマイク(エドワード・ノートン)を絡ませたり、コミュニケーション断絶状態の娘(エマ・ストーン)を登場させて家族の中でも存在を確立出来ない姿を露わにさせたりして、リーガンの追い込まれた状況を強固に描き、舞台までの道程を推進させていく。
映画の見所のひとつであるオール擬似ワンカット(撮影エマニュエル・ルベツキ。編集も死んだだろうな…)も、アントニオ・サンチェスによる鳴り続けて息の抜きどころの無いドラムスコアも、リーガンが追い込まれ、舞台での成功以外に向かうべき道の断たれた状況を演出するのに沿っていて、単なる奇抜なアイデア先行というものでなく効果的だった。実際一度観るぶんには気持ち良かった。しかしそれなら娘とマイクの恋愛話とか諸々の枝葉エピソードは必要無いなー、とは思った。