yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) (2014)

   スーパーヒーロー映画「バードマン」でハリウッドスターの地位を獲得したものの現在では人気凋落、更にマンガ役者のレッテルで低評価に甘んじている俳優リーガン(マイケル・キートン)は自己の存在証明の為、レイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語ること」を自らの脚色主演演出で舞台化し、ブロードウェイの世界へと挑む。という筋立てで、それ自体は至ってシンプルな映画。そこにリーガンの役者としてのコンプレックスを明確化する為に役者バカのマイク(エドワード・ノートン)を絡ませたり、コミュニケーション断絶状態の娘(エマ・ストーン)を登場させて家族の中でも存在を確立出来ない姿を露わにさせたりして、リーガンの追い込まれた状況を強固に描き、舞台までの道程を推進させていく。

     映画の見所のひとつであるオール擬似ワンカット(撮影エマニュエル・ルベツキ。編集も死んだだろうな…)も、アントニオ・サンチェスによる鳴り続けて息の抜きどころの無いドラムスコアも、リーガンが追い込まれ、舞台での成功以外に向かうべき道の断たれた状況を演出するのに沿っていて、単なる奇抜なアイデア先行というものでなく効果的だった。実際一度観るぶんには気持ち良かった。しかしそれなら娘とマイクの恋愛話とか諸々の枝葉エピソードは必要無いなー、とは思った。

     物語自体の展開でいうと『座頭市』で真剣持ち出した勝新太郎的な演技メソッドで真のリアリテイを獲得し、名声欲を超えてアートへ偶然に到達するなんていうのはちょっと安易に過ぎると思った。あとリーガンが妄想の中で、かつて演じたヒーローと同化して飛翔するというのも、ヒーローとしての矜持を取り戻したならば納得いくが、単に頭おかしくなってるという風にしか解釈出来ないから、その手の映画が好きな身としては馬鹿にされているとしか思えなかった。架空のヒーロー『バードマン』が僅かながらも現出するシーンはどう考えても嬉々として撮られているから、監督にヒーロー物への愛が無いとは思わないが。

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    キャスティングは現実との相似が話題だったが、マイケル・キートンって脇役として悪くない立ち位置にいると思っていたので今作で主人公との類似を指摘されているのは可哀想な気もする。エマ・ストーンは役柄もあるが段々ケバくなっていきそうな兆候が見えていて複雑だった。今作で一番良かったのはリーガンの恋人役のアンドレア・ライズボロー。『オブリビオン』と同様のアンドロイド感がたまらなかった。

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     ところでバードマンって藤子先生に©とかないのか、とか思ったが、そんなことは誰も言わないからないんだろうな。


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