yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

日本のいちばん長い日 (2015)

    敗戦前夜、ポツダム宣言受諾を要求された日本。降伏か本土決戦かで延々と閣議を続ける政府だったが、鈴木首相(山崎努)、阿南陸軍大臣(役所広司)、米内海軍大臣(中村育二)らの間で議論は紛糾。天皇本木雅弘)の聖断を仰がざるを得ない状況へと進みつつあったが、本土決戦を望む陸軍の若手将校・畑中(松坂桃李)らの不穏な動きも活発化していた…。監督脚本・原田眞人

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    映画としての出来以前に、扱う題材が戦争で、しかも自分の住む国で最も近しい時期に起こり、今になお課題を残している第二次大戦が舞台となると、どうしても倫理的な部分や政治性に目が行ってしまうというのがあって、この手の作品を素直に享受するのは難しい。で、今作もなかなか微妙な気分で鑑賞。

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     基本的な作りは岡本喜八版に近いが、天皇をキャラクターとして登場させたり、阿南陸軍大臣や鈴木首相の内面、家族関係を掘り下げていたりする部分が大きな違い。しかし政治家たちの個人の物語に寄ったことでドキュメンタリータッチの作品ながら客観性が薄まり、歪な感情移入を差し挟ませる作りになってしまっていた。

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    なので喧々諤々の意見を戦わせる会議において、自己の体面、国の体面に終始して、誰も惨禍を引き起こした当事者としての責任を取る気は皆無という状況でありながら、映画内ではまるで各々がぞれぞれの事情により真摯にことに当たっているというふうにしか見えなかったりする。もちろんその側面もあるだろうが、その間にも原爆は落ち、空襲は続き、人々が死に続けていることを考えれば、個人のヒロイズムやエゴの賛美と映りかねない作り方は疑問だった。

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    それでいくと死の描き方にも違和感があって、阿南大臣の自死の場面には散り際の美しさだけがあって、自死で幕引きを図り、被害者からの断罪を受け付けない卑怯さは感じられない。そこは両方描くべきだと思った。喜八版では殺すときには首も飛ばすし、自死には醜さも表現されていて、あまり政治性を考えずに(もちろん政治性がないわけではない)楽しめて良かったんだが。

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    あと御前会議の描写などはソクーロフの『太陽』とソックリだと思った。当然天皇をキャラクターとして登場させるとなると『太陽』も大きな参照点になっているとは思うけど(もちろんあの独特の不気味さは今作のキャラクターには投影されておらず)。その『太陽』が空襲の様子などを半ば幻想的に描きながら終末状況をえぐっていたり、喜八版が人々の汗や足元、血走った目で追い詰めらた日本の状況を表していたのと比べると、今作がどこか牧歌的なのもサスペンスとしての面白味に欠けているように感じられた。

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    それから、敗戦前日に全てを詰め込んだ緊張感をサスペンスとしてみせることをせず、敗戦日までの数日を等価に描いた構成にしているので、せっかく山崎努役所広司の顔面アップで迫力を出しても緊張感が高まらないし、これだとタイトルもちょっと違うことになってしまう。見ていて、いつが一番長い日なの⁉︎と思ってしまったよ。


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