映画としての出来以前に、扱う題材が戦争で、しかも自分の住む国で最も近しい時期に起こり、今になお課題を残している第二次大戦が舞台となると、どうしても倫理的な部分や政治性に目が行ってしまうというのがあって、この手の作品を素直に享受するのは難しい。で、今作もなかなか微妙な気分で鑑賞。
基本的な作りは岡本喜八版に近いが、天皇をキャラクターとして登場させたり、阿南陸軍大臣や鈴木首相の内面、家族関係を掘り下げていたりする部分が大きな違い。しかし政治家たちの個人の物語に寄ったことでドキュメンタリータッチの作品ながら客観性が薄まり、歪な感情移入を差し挟ませる作りになってしまっていた。
なので喧々諤々の意見を戦わせる会議において、自己の体面、国の体面に終始して、誰も惨禍を引き起こした当事者としての責任を取る気は皆無という状況でありながら、映画内ではまるで各々がぞれぞれの事情により真摯にことに当たっているというふうにしか見えなかったりする。もちろんその側面もあるだろうが、その間にも原爆は落ち、空襲は続き、人々が死に続けていることを考えれば、個人のヒロイズムやエゴの賛美と映りかねない作り方は疑問だった。
それでいくと死の描き方にも違和感があって、阿南大臣の自死の場面には散り際の美しさだけがあって、自死で幕引きを図り、被害者からの断罪を受け付けない卑怯さは感じられない。そこは両方描くべきだと思った。喜八版では殺すときには首も飛ばすし、自死には醜さも表現されていて、あまり政治性を考えずに(もちろん政治性がないわけではない)楽しめて良かったんだが。
あと御前会議の描写などはソクーロフの『太陽』とソックリだと思った。当然天皇をキャラクターとして登場させるとなると『太陽』も大きな参照点になっているとは思うけど(もちろんあの独特の不気味さは今作のキャラクターには投影されておらず)。その『太陽』が空襲の様子などを半ば幻想的に描きながら終末状況をえぐっていたり、喜八版が人々の汗や足元、血走った目で追い詰めらた日本の状況を表していたのと比べると、今作がどこか牧歌的なのもサスペンスとしての面白味に欠けているように感じられた。
それから、敗戦前日に全てを詰め込んだ緊張感をサスペンスとしてみせることをせず、敗戦日までの数日を等価に描いた構成にしているので、せっかく山崎努や役所広司の顔面アップで迫力を出しても緊張感が高まらないし、これだとタイトルもちょっと違うことになってしまう。見ていて、いつが一番長い日なの⁉︎と思ってしまったよ。