登場人物たちの造形が素晴らしかった。主人公の一人アツシは鬱憤を身体に溜め込んだまま社会の中にどうにか身を置いていることが佇まいから醸し出ていたし、博多弁が珍しくリアルだったのも福岡人として納得の出来。他の主人公もリアリティを持った生々しい存在感で、加えてプロの役者たちがシリアスとユーモアの絶妙なバランスで文字通りに脇を固めていたことも作品世界を強固なものにしていた。特に安藤玉恵が笑えた。
水脈から東京の風景を切り取った視点は押井守作品などでもやっているが、ここでは別の角度から都市を見つめることが都市の底で生きる人々の孤立感と呼応した形で見えていて、テーマと密接に共鳴した使い方に思えた。さらに生きている場所と人が水によって繋がっていること、自然を介して世界と繋がることなどが瞳子の放尿シーンともリンクすることで感覚的に示されることで映画に奥行きを与えていた。
同じ場所で会話を交わしながら互いに全く相手を理解していないし、理解するつもりも無いという絶望的な現実を容赦無く突き付けながら、それでも僅かな気遣いや優しさが生きていけるだけの希望を垣間見せてくれるという、要約すると当たり前のことを提示しているだけに思えるが、それがリアルな日常描写の積み重ねと説得力のあるダイアローグ、人物描写によって心に響く、まさに映画としか言いようがない作品に昇華されていて、橋口監督の優しい眼差しが滲み出た名作になっていた。