イニャリトゥは天才に憧れてるインテリなのかと思ってたら感性の爆発した作品になっていた。ストーリーや意味付けには深みを感じさせないのに、映像自体がそれらを超えてテーマを現出させていて素晴らしかった。タルコフスキーのイメージとヘルツォークの壮大さを投入されたデッドマン?ストーリーや意味付けを超えて映像自体が物語っていた。
まず冒頭のアリカラ族と毛皮商人キャラバンとの戦闘が凄まじい。見通しの悪い林立した湿原の合間から飛んでくる原始的な矢尻群の迫力は臨場感に溢れていて、最初から逃げ場なしで作品世界に没入していく。そこから怒涛の映像が続いていくが、圧倒的な自然描写の美しさに加えて超アグレッシブかつキュートな熊ちゃんなど、CGとの融合も見事で、教授の静謐で緊張感のある音楽の効果もあり、終幕までずっと気持ち良かった。
ストーリーは一人息子を殺された男が死地から蘇り復讐の鬼と化すものの最後に赦しの境地に近づくというシンプルなものだが、そこに織り込まれたキリスト教的イメージやネイティヴ・アメリカンを侵略したアメリカ人という構図は、悪いことをしているのは結局フランス人だったり、ネイティヴ・アメリカンの残忍さも攫われた娘を救うためという言い訳が施されてソフトになっていたりでかなり浅い。作中に登場するキリスト教的なイメージから直結した『赦し』の境地へ主人公が達したかのようなラストにしても、『復讐は天に任す』とか言ってフィッツジェラルドを、「殺すぞ〜」というムード満点なアリカラ族の集団がたむろしている川下に流すというのは全然赦しになっていないんだが…。というか単に自ら手を下さないけど向こうでもっと残酷に殺されてこい!という酷い仕打ちにしかなっていない…。
しかし、主人公の奥さんが聖母のイメージで頻出する一方で、小熊を守る為にグラスをグチャグチャにぶちのめす母熊が登場するように、細々とした人間世界の卑小な状況やキリスト教的なイメージを超越して、グラスを死の淵へ追い込む寒波、濁流、猛獣といった大自然の脅威、温もりを与える獣の胎内、飢えを満たす食物の提供など恵みとしての大地、といった広大で遠大な大自然が圧巻の映像で展開することによって人間の作り出した概念とは別の巨大な何かが作品世界を覆っていることを感じさせて、その対比が映画でしか味わえない体験を与えてくれた。
その上で復讐や親子関係といったそれら大自然から見るとあまりにも小さく人間的な観念や情念が、主人公をその中で生き抜かせていく力の源として作用しているのが感動的だった。さらにスタッフやキャストの撮影に挑む姿勢の本気度が強烈に伝わってきたし、それら全てが相まってメタファーや意味付けを超えた美しさがある映画になっていた。身体を張ったディカプリオも凄いがトム・ハーディが良かったよ。