ビル清掃のバイトをしながら無為に毎日を過ごしていた岡田(濱田岳)は、変わり者ではあるものの良き理解者でもある職場の先輩・安藤(ムロツヨシ)から、一方的に思いを寄せているカフェ店員ユカ(佐津川愛美)との恋の仲介役を頼まれる。岡田はそのカフェで高校時代の同級生・森田(森田剛)と再会するが、ユカと接触した岡田は彼女が森田にストーカー行為を受けていることを告げられる。岡田と安藤は彼女の身辺警護を名目にユカと親しくなっていくのだが…。監督、脚本吉田恵輔、撮影志田貴之、音楽野村卓史。
社会の底辺に生きる若者の日常をコメディタッチに描く裏側で不穏さが徐々に増していき、ついに中盤でタイトルが現れて真の映画が始まる構成に日常が崩れていく恐怖と、映画が走り出すワクワク感が一気に押し寄せる。それが単に意表を突く為だけではなく、森田の暴力と狂気が日常と地続きであることを明確に打ち出す為の仕掛けになっていて巧い。
前半のコメディ風味を背負っているのは安藤で、演じるムロツヨシの焦点の合っていない目付きや挙動不審演技が絶妙で凄く良かった。すっとぼけていて、可笑しな人物であると同時に、森田と同様の化け物になってもおかしくない紙一重の怖さがあって、森田という存在がただの異常者として片付けられないことを提示する役割も担っている。その一方で、最終的に自己中心的なだけの思考であれば決して許せないはずの岡田を友達として受け入れる過程が、ラストシーンと並んでコミュニケーションの断絶した世界に対する淡い希望として描かれていて泣ける。
森田はどこにいてもおかしくないような存在感で、昔、こんな顔の先輩いたな〜とか思いながら観ていたが、タイトルが出てV6の人だと分かってビックリした。オーラ完全に消してる。森田というキャラクターは完全に狂っているのだが、同類とも言える安藤の存在や、ラストにおける行動によって、物語同様に日常と狂気の境界線が曖昧になっていて、単に理解不能な存在としては処理出来ない。それが恐怖を倍増させていたし、僅かな救いの可能性も感じさせてくれた。全体的に暴力描写は容赦ないし、必要なのかなとも感じられたが、それによって森田への安易な同情や共感を防ぐというバランス配分にはなっていた。
ほかのキャラクターも良くて、濱田岳は飄々とした佇まいそれ自体が類型化されたイメージになっていて苦手だったが、今作では逆にそれが岡田を曖昧なキャラクターとして成立させていて良かったし、ユカのキャラクターも、「オタクコロがし」としての説得力抜群で可愛かった。そんな感じで各キャラクターの造形とそれぞれが織りなす日常世界がちゃんと成立しているからこそ異常な物語にも説得力が増していた。
あと原作読んでなかったのはかなり後悔した。と言うのも役者達の佇まい、世界の空気感は古谷実ワールドとしか言いようのないものになっていたが、物語の核の部分はかなり改変しているらしく、そこが映画としての印象を決定付けていると思われるので、これは原作も読まねばならないな、と思った。