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yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

東京無国籍少女 (2015)

  ある事件をきっかけにPTSDを発症した美術学校生の藍(清野菜名)は眠ることもままならず、授業中も上の空のまま学園生活を送っていた。しかし彼女の突出した天才性を広告塔として打ち出したい学校側は、そんな状態にあっても彼女を特別待遇で扱い、そのことが担当教師、同級生らによる嫌がらせを誘発していた。そんな日々の中、藍は取り壊し予定の体育館で謎のオブジェの作成を黙々と続けていたが、やがて世界がその真の姿を顕し始めて…。監督押井守、脚本山邑圭。

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    タイトルのド級のダサさに不安だらけだったが予感は見事に的中してしまった。やっていることはいつもの押井守そのままなのに、どうしてこうも面白くないのだろう。というわけで以下ネタバレ。と言ってもネタがバレようがバレなかろうが、どうでもいい気もするけど…。


    全体の作りとしては、主人公が脳内で、現実世界を仮想世界にトレースして夢想しているという構造で、実写三作目の『トーキングヘッド』と酷似している。しかし『トーキングヘッド』では夢の世界が手作り感溢れる作り物としてよく出来ていて、夢の中を彷徨う感覚を与えてくれたし、現実の押井守周辺人物たちを戯画化したキャラクターが大挙して出てくるのが楽屋落ち的ではあっても楽しかったりしたが、今作にはそういった面白味は一切無し。中原俊の『櫻の園』とか金子修介の『1999年の夏休み』のようなムードを狙っていそうだが少女たちの心の機微は微塵も伝わってこず、何となしに雰囲気だけの退屈な学校描写が続く。ダラダラ続く学園生活となると名作『ビューティフルドリーマー』も連想するが、ギャグも学園祭前の狂騒も皆無な本作ではただ退屈なだけだったりする。そもそも少女から女性へと変化する様を描くという要素も取って付けたようにしか見えないし、見るからに逞しい清野菜名に、それを演じさせるのも違和感がある。

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    まったりと終盤まで進めて最後だけ大活劇になるというやり方も実写二作目の『ケルベロス』でやっていることではあるけど、『ケルベロス』での最後のアクションはそこまでの情景とモラトリアム描写が心地よいからこそ、その終わりとしての破壊がエモーショナルになっていたが、ダラダラやった挙句に突然女子高生がバトルするという今作の展開は下手なラノベの安っぽさを漂わせていた。

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    その最後のアクション、清野菜名の身体能力は凄いし見応えあるが、観念的な遊びの面白さをベースに映画が作られている中でここだけ肉体の生々しさを見せる為に血を飛び散らせ、死体を転がされても逆に嘘っぽい印象がある。リアルな人体破壊描写が即映画としてリアルになるわけじゃなく、映画相応のリアリティがあるはずで、女子高生が銃剣振り回して戦車でGOみたいな内容の作品では醜悪なミリオタメンタリティーの発露にすら見えて、ちょっと具合悪い。

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    ということで、ギャグがない(担当教師役の金子ノブアキのリアクションとかあるにはあるんだけど…)とか観念的な遊びから逸脱させようという試みが空回り、などでせっかくの趣味全開押井守映画を楽しめなかったのだけど、1番楽しめなかった理由は劇盤が川井憲次じゃなかったということかも知れない。何だかんだ言って今作に川井憲次の音楽が被さっていたら普通に楽しめたのかも、と思ったりもしたのだった。


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