劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 (2025年・日本)
炭治郎(花江夏樹)たち鬼殺隊は産屋敷邸に現れた鬼舞辻󠄀無惨(関俊彦)を追う途上、謎の空間へと落とされる。そこは鬼たちの根城、無限城であり、鬼殺隊と鬼との最終決戦が始まるのだった。
監督:外崎春雄、原作:吾峠呼世晴、脚本制作:ufotable、キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃、美術監督:矢中勝、樺澤侑里、美術監修:衛藤功二、撮影監督:寺尾優一、3D監督:西脇一樹、編集:神野学、音楽:梶浦由記、椎名豪、総監督:近藤光、アニメーション制作:ufotable。

子供たちと観た。ランダム特典のポスカは「この2つはハズレやな」と娘と言ってたものに娘ともども当たったぜ。息子は好きな善逸が当たった。やっぱりオタクっ気の無いやつはランダムとか当たるんだよなー、とか、本編と関係ないことを書いて終わりでいいんじゃないかというぐらい誰もが観てる、らしい。凄いよなー。で、内容はずーっと戦ってた、そして作画が圧巻過ぎた。一本の作品としてどうかとかでなくて、とにかく物語の続きからやれるとこまでを凄いクオリティで見せるということに特化した作りで、とにかく見せ場をハイクオリティで連発する壮大なPVのような映画という点で『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編』を思い出したよ。ラブライブはバトルじゃなくて歌唱だけど、3部作というのも共通してるし。しかもこちらはそのクオリティがおそらくこの作品以外では物理的予算的にもあり得ないレベルというヤバさ。これをまだ続けていくとか、シリーズ終わったら制作会社はどうするんだろうとか余計な心配までしてしまうよ。

名探偵コナン 隻眼の残像(フラッシュバック) (2025年・アメリカ)
長野県警の大和敢助(高田裕司)が雪崩に巻き込まれた際に追っていた事件についての問い合わせに答えるため、刑事時代の同僚鮫谷(平田広明)と会う約束をした毛利小五郎(小谷力也)だったが、鮫谷は何者かに殺されてしまう。事件を追い始める小五郎とともに江戸川コナン(高山みなみ)も捜査を開始する。
監督:重原克也、原作:青山剛昌、脚本:櫻井武晴、キャラクターデザイン・総作画監督:須藤昌朋、美術:福島孝喜、柏村明香、音楽:菅野祐悟、アニメーション制作:トムス・エンタテインメント。

コナンくんの映画はネタバレ的なこと書いたら怖いから何も言わんけど、とりあえず最高だったよ。ずっと前作と同等もしくは上回るクオリティを連発してきててヤバいです。もう映画にだけ注力してるよね、明らかに。具体的な感想は何も言わないと言いつつ、序盤、蘭との約束を優先してコナンくんが少年探偵団との長野行きを断るんだけど、その時に見せる哀ちゃんの台詞と裏腹の表情が関係性萌え好きとしてポイント高すぎたというのだけは義務として記録しておきます…。

LUPIN THE IIIRD THE MOVIE 不死身の血族 (2025年・日本)
ルパン三世(栗田貫一)たちは、刺客を送り続けてきた黒幕と財宝を目指して世界地図に存在しない島に上陸する。
監督:小池健、原作:モンキー・パンチ、脚本:高橋悠也、音楽 ジェイムス下地、クリエイティブアドバイザー :石井克人、アニメーション制作:テレコム・アニメーションフィルム、製作:トムス・エンタテインメント。

そうか。前日譚だったのか、ってそんな必要ある?今さら⁉︎せっかく新しいシリーズで魅力的な敵キャラも揃えたのだし、完全にオリジナルでやれば良いのでは、と思ったし、『ルパン三世 ルパンvs複製人間』に繋げるなら、本編自体リメイクして欲しかった、というのはあるのだが、映画になってさらに荒唐無稽さ全開になったストーリーは面食らうが、しかしルパンの長編ってこんなだよな、という「らしさ」で溢れていたし、それを表現した作画もそれに見合っていたので、変な期待を持たずに観れば『ルパン映画』の新作としては全然満足出来るクオリティの作品だった。

ヘルボーイ ザ・クルキッドマン (2024年・アメリカ)
1950年代アメリカ。超常現象調査防衛局のヘルボーイ(ジャック・ケシー)とエージェントのジョー(ボビー・ジョンソン)は山奥の寒村で奇怪な事件に遭遇する。そんな中、20年前に悪魔と契約を交わしたというトム・フェレル(ジェファーソン・ホワイト)が村に戻ってくる。
監督・脚本:ブライアン・テイラー、原作・脚本:マイク・ミニョーラ、脚本:クリストファー・ゴールデン、ブライアン・テイラー 、撮影 :イバン・バツォフ、美術:アルリン・グロジャノフ、編集:ライアン・デンマーク、音楽:スベン・フォルコナー 。

今作は原作者のマイク・ミニョーラが脚本からガッツリ関わったのが売りのひとつらしい。しかし、その脚本、ある程度設定やキャラクターを理解していても、こちらが気を回して多分こういうこと言いたいんだろうなぁ、などと脳内で色々補足してやっと意味を成すような台詞のオンパレードで、多分作り手としては言葉で全部説明するようなダサイことはやらない、行間を読めよ、という気持ちなんだろうけど、書いてる本人だけ理解している世界を観客の共通認識と混同してそうで、何を言いたいのか、やりたいのか全然伝わって来なかった。しかも、もし理解出来たとしてもキャラクターの心理の動きを納得することは出来なさそう。ヘルボーイとヒロインに突然ロマンスが芽生えたりしてびっくりするし。

アクションもレイアウトや編集の拙さに加えてキメのポイントで粗いズームを入れてきたりする演出が余計で、どういう動きをしているのか非常に分かりづらい。なので台詞による説明不足を映像で補うということもなく、延々と自己満足の画面を見せられるという苦行の連続だった。

ただ魔女が皮だけ残して肉体がどっかに行ってる場面とか手作りの気持ち悪さがあって良かったり、ひとつひとつの絵面は雰囲気があったり(雰囲気だけという言い方もあるけど…)で、土着信仰物のホラーの感じでやろうとしている意気込みは感じないこともない。これは宣伝のためかも知れないけどマイク・ミニョーラは「自身が思い描いた映像化の理想形」だと言っているとのことで、そういうことなら、脚本も含めてのダメさの原因は原作者自身にあるのかも。あと、やってたことすら忘れていたし観てもいなかったが、デル・トロ版のあとに公開されていた『ヘルボーイ』もマイク・ミニョーラ完全監修という謳い文句だったみたいで、それは無かったことになってんのかな。

瞳をとじて (2023年・スペイン)
映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が突然の失踪を遂げてから20年あまり。フリオの親友でもあった作品の監督ミゲル(マノロ・ソロ)はフリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報を聞きつけて、施設を訪ねる。
監督・原作・脚本:ビクトル・エリセ、脚本:ミシェル・ガスタンビデ、撮影:バレンティン・アルバレス、美術:クルル・ガラバル、衣装:ヘレナ・サンチス、編集 アセン・マルチェナ、音楽:フェデリコ・フシド 。

ビクトル・エリセの新作、長編としては30年以上ぶりらしい。なのでエリセ作品をスクリーンで観るのは初めてで、それだけでも貴重な機会だった。幻想味は薄く、ビクトル・エリセの映画だ〜という感覚はあまり無かったのだが、フィルム映画へのノスタルジーを表明しているような表層の裏側に、おそらく監督にしか分からない思索が渦巻いているのは確かに感じられて、ちゃんとしたヨーロッパ映画を観ている感覚はあった。

主要登場人物たちはまるで記憶と記録だけで繋がっているようで、それは映画の中だけで存在出来る関係性にも思えるのだが、しかしそれが一体何なのか、何を見せようとしているのかというのはサッパリ分からなかった。記憶を無くした男が映画によってそれを取り戻せるのかというストーリーも結局何を言いたいのかな、という感じだった。そこに映画こそ至上というストレートな解釈を当てはめると、それこそエリセ作品っぽいとも思えるけど、そんな単純なものでは無いのだろう、多分。とはいえ登場人物たちの誰もが冒頭に出てくるチェスの駒のように冷徹に配置され、動かされてるように見えるのは、これが『映画』だと殊更に強調しているようで、映画そのものを語る映画だというのは間違いない、と思われる。

しかしビクトル・エリセらしさを一番感じたのは、そんな映画を語る映画とか、スペイン内戦の影が根底に潜んでいる政治的な感じ、などではなく、宮崎駿に通じる変態性だった。記憶を無くした男が娘(『ミツバチのささやき』の女の子だった、らしい。分からなかった)に見せる好色な眼差しや劇中映画の父親の娘への執着など、意識的に尋常じゃない雰囲気を漂わせていて、どう考えても異常…。なので理解は追いつかないけど興味深く楽しませてもらった、という感想。もう一度観て、理解を深めたいという気持ちもあるけれど、ちょっと長いんよね…。


