死体を労働力、兵力として活用する屍者技術が発達した19世紀末のロンドン、政府の諜報組織「ウォルシンガム機関」の長M(大塚明夫)は、亡くなった親友フライデー(村瀬歩)の屍者化を非合法に成し遂げた医学生ジョン・H・ワトソン(細谷佳正)をスカウトし、かつてヴィクター・フランケンシュタイン博士が意思を持った屍者ザ・ワン(菅生隆之)を生み出した技術が記されているという「ヴィクターの手記」探求のミッションを与える。ワトソンはフライデー、用心棒兼監視役のバーナビー(楠大典)らとともに旅立ち、元ロシア帝国の司祭カラマーゾフ(三木眞一郎)や謎の美女ハダリー(花澤香菜)との出会いの中で屍者を蘇らせることの意味を自らに問い直していく…。監督牧原亮太郎、脚本瀬古浩司、後藤みどり、山本幸治、作監千葉崇明、加藤寛嵩。
よく2時間にまとめたな、という感想。あらすじを映像で見せるという意味で上手く出来ていて、目まぐるしく移る舞台それぞれの美術は綺麗に作られているし、屍者の動きも死体が動いている気持ちの悪い違和感が表現されていてアニメーションとしての気持ち良さが充分に堪能出来た。ただストーリーを可能な限り網羅して語ろうとすることで余白の感じられない、映画的な醍醐味の薄い作品になってもいた。
小説『屍者の帝国』の映画化としてはどうなのか、というところは、
↑が原作を読んだ時の感想で、自分で書いておきながら今読み返すと意味不明だが、多分物語的な部分よりも構築した世界の中での遊びの部分に面白みを感じたということだったとは思う。しかし今作では人物の背景がごっそり抜け落ちてハダリーを始め誰もが薄っぺらなキャラクターになり、ユニヴァーサル映画などのキャラクターが続々と登場するメタ的な部分など遊びの要素も大幅に減少して一本道の単調な物語になってしまった上に、ワトソンとフライデーの関係性を情緒たっぷりに改変したことで円城塔と伊藤計劃の物語によりあからさまに引き寄せて見せてしまう下品なテイストすら感じさせて、果たして『屍者の帝国』の映画化としてどうなんだろう、という気もした。実際原作と映画では受ける印象が大幅に違う。しかしワトソンとフライデーの物語に特化した冒険譚として仕上げたことは単体の映画として成立させる為の選択としてはアリだったのかなというのもあって、原作の観念的な部分を表現していけばエンターテイメントのアニメ映画としては成立が難しかっただろうとも思う。なので結局アニメーションとしての気持ち良さを追求した今作のやり方はこれでこれで良かったのかも。アニメーションのクオリティ自体も高かったし。
あとは今回ハダリー役を花澤香菜さんがやっていて、キャラクターに合わせた抑揚のない台詞まわしなのに感情がちゃんと伝わってくる演技が最高だったというのと、「ここはおれに任せて先に行け」は一作品中一度にしておかないと盛り上がらない、ということが確認出来た、というところか。