本編のことを書く前に、上映方式についてのイチャモンを一応付けておく。今回は子供二人連れで劇場へ行ったのだけど、子供と映画館へ行く際は、本編終了までちびっ子達の集中力が果たして持つのかというのが自身も映画を楽しみたい保護者にとって大きな関心事だと思うが、ただでさえ本編前の予告編を長々垂れ流す現代の映画館事情に加えて、やっと予告が終わったと思ったら監督のコメントやらドリカムのPVを流し始めて、もう子供の集中力が切れる前にこっちの忍耐が持たないよ!という状態にされたのはキツかった。まあディズニー映画の約束事なので本編前の短編上映はまだいいとしても(と言っても今回流れたやつは最低だった)、これから絵空事に没入したい時に作ったやつ(監督)が顔を出してきたり、どう考えてもイライラさせるだけで逆プロモーションになる日本版主題歌のPV上映やったりとか何なんだろうとなったが、けっこう怒ってる人いるみたいだから多分次から無くなるんじゃないかと思うので、まあ、もういいか…。
で、本編だけど、凄くよく出来た映画で、本編前のイライラもすっかり忘れて序盤からグスグス泣いてしまった…(ちなみに子供達は笑ってた)。小学生の女の子の小さな世界の中で、大人から見れば些事に思える様々な事柄で激しく波打ち揺さぶられる感情が丁寧に描写されていて、もうそれを見ているだけで子持ちとしては涙が出てくる。
そんな繊細な女の子の感情表現を3DCGアニメで見事に描いているという点だけでも映画として凄いな、と思わせられた。3DCGアニメが気色悪かったり違和感満載だったりするという前提は随分減退して、少なくともディズニー、ピクサーのアニメーションにおいてはノイズなしに楽しめる地平に達しているというのを改めて見せつけられた感じだ。今作はライリーの見つめる日常(現実社会)とライリーの頭の中のイメージの世界が交互に描かれているのだけど、現実がちゃんと(マンガ表現として)リアルに構築されているので、頭の中の世界もちゃんと別世界として受け止められる。つまり虚構と、虚構内虚構の双方ともを3DCGアニメで具現化することに成功していた。
ただ頭の中の世界と現実と区分する為に、脳内世界を分かりやすい世界観にしてしまっているので、色彩やキャラクター造形などはかなり簡略化、単純化されており、映画のほとんどがそこで展開していくという構造もあって、やや観ていて画面の面白味に欠けるというのはあった。もっとも脳内世界の風景をシュールレアリズム全開で描いて悪夢的風景にしてしまうと子供映画という枠を破壊してしまうというのはあるか。
しかし脳内世界の構造や機能の使い方と物語への援用は上手くて、イマジナリーフレンドがヨロコビたちを助けて、そしてちゃんと役割を終える運びには、やはり幼児の頃うちの娘と仲良くしていた架空の姉妹たちのことが思い出されて涙目になった。
物語自体は前向き賛歌になりがちな子供映画とは逆に、悲しむことを許容する筋立てになっていて、この手の作品としては画期的だったと思う。しかし心を閉ざしたライリーが感情を取り戻すに当たって、映画の中では脳内のキャラクターであるヨロコビやカナシミが活躍して解決に至るという見え方だが、結局それは全て本人の分身であって、折れた心を修復するのは全て自身の力によるということになってしまうから、実際に困難にぶつかってしまった子供達にとっては厳しすぎるとは思った。例えば鬱に入った現実世界のライリーに他者が寄り添い介入してくることによって彼女の頭の中の世界でもヨロコビたちが指令室へ辿り着く活路を見出すというような仕掛け、連動があれば救済に真実味が増したかなとは思った。
それにしてもこの映画、いくらでも続編が作れるし、見たい気もする。今作は11歳のライリーの脳内の冒険だったが、13歳でも15歳でもそれぞれのライリーだけの心の物語があるだろうというのを想像させてくれる。そういう意味でも愛のある、いい映画だった。