yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

ブレードランナー 2049 (2017・米)

   2049年、ロサンゼルスではバイオ食料の供給と労働力である人造人間レプリカントの製造によってニアンダー・ウォレス(ジャレッド・レト)率いるウォレス社が絶大な権力を握っていた。そんな中、ロス市警の違法レプリカント狩りを専門とする「ブレードランナー」で自身もレプリカントであるK(ライアン・ゴズリング)は追跡していたレプリカント、サッパー・モートンデイヴ・バウティスタ)を処理した際、人間とレプリカントの関係を揺るがす重大な秘密を知る。ホログラフィーを搭載した恋人兼理解者のAI、ジョイ(アナ・デ・アルマス)とともに上司ジョシ(ロビン・ライト)の命令で極秘捜査を開始したKは人口記憶の創造者アナ・ステライン(カーラ・ジュリ)らを訪ねつつ謎に迫るが、ウォレス社長もレプリカントのラヴ(シルヴィア・フークス)を使って秘密に迫っていた。そしてKは事件の鍵となる30年前に女性型レプリカントとともに失踪したブレードランナーデッカードハリソン・フォード)の存在に行き当たるのだが…。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、脚本・原案:ハンプトン・ファンチャー、脚本:マイケル・グリーン、製作:アンドリュー・A・コソーヴ、ブロードリック・ジョンソン、バッド・ヨーキン、シンシア・サイクス・ヨーキン、製作総指揮:リドリー・スコット、撮影:ロジャー・ディーキンス、プロダクション・デザイン:デニス・ガスナー、視覚効果監修:ジョン・ネルソン、衣装デザイン:レネー・エイプリル、音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュハンス・ジマー

 

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多分ネタバレしてます。

 

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    映画が進行して物語に軸足が移ってくる辺りでオリジナルのファンとしてはどうしても納得出来ない感情が湧いてくるのは初めから分かっていたことではあるけど、繊細なリスペクトでオリジナルを踏襲した上で繰り出される続編としての新たなイメージと創意工夫が事前の想像以上で、結果としてヴィルヌーヴ監督と製作陣の並々ならぬ気合いを感じる傑作だった。  

 

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    オリジナルの唯一無二の世界にヴィルヌーヴ監督がこれまでの作品で見せてきた無機質な感触を加えたロサンゼルスの風景は現代の映画としての説得力抜群で、そこにちゃんとオリジナルの雰囲気を保ったままのガジェット類が進化して溶け込んでいる画面は感動モノだった。そしてモノローグの挿入具合、ガジェット操作時に対象を拡大して精査していく様子からリオンを思い起こさせるサッパー・モートンやプリスを彷彿とさせるマリエッティ(マッケンジー・デイヴィス)などキャラの造形もオリジナルから地続きであることを感じさせて、さり気なくもポイントを押さえてオリジナルを踏襲しているのに好感を持った。

 

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   サウンドトラックも同様に環境音と効果音を増幅させたような音楽とオリジナルの劇伴を援用することでヴァンゲリスのイメージを覆したりすることなく今風のサウンドトラックに仕上げていて、そんなところにも全方向的な抜かりなさを感じた。

 

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    そして今回、新たな要素として登場する主人公の彼女(?)であるAIのジョイがとにかく良く出来ていて、ホログラフィーで登場する際の仕掛けや持ち運び可能なガジェットとの連携、言動の健気さ、演じるアナ・デ・アルマスの可愛さで、Kがメロメロになるのも納得のキャラクターになっていた。この映画はオタクの新たなヒロイン像となるバーチャル彼女を創出したというだけでも十分な価値があると思った。あと健気な人造人間というのはそれだけで涙腺刺激する必殺要素なんだけど、今作は主人公に魂を持たないレプリカントを置きつつ、そんな主人公より更に存在として欠落したジョイを登場させることで、切なさを倍増させていて、ハードボイルドだったオリジナルとは全く感触の違う、情緒的な映画として独自性を獲得していたように感じた。

 

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   ただ、続編が作られるという時点で分かっていたことではあるけど、最小限の物語で世界観そのものが映画の肝だった「ブレードランナー」はその余白ゆえに受け手側の想像と妄想でさらに世界を拡大し輝きを増し続けてきた作品なので、その続きを明確に物語として見せてしまうことはオリジナルの魅力を損ない、せっかく広がった世界を縮小させてしまったというのはあるので、そこはどうしても引っ掛かってしまった。別個の作品として楽しめばいいというのもあるけど、リドリー・スコットシド・ミードまでがある程度関わっているというのが今作に公式なお墨付きを与えているので、それもなかなか難しかった。

 

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   あと今作のストーリーだけど、レイチェルに子供がいた!というのは流石に後出しジャンケンにもほどがあるだろうと思うし、リドリー・スコット自ら最終版でレイチェルの寿命に制限が無い件はオミットしていたので、そこらへんはどうなっているんだとかいう気持ちが湧いたり、「ブレードランナー」後のデッカードレプリカントの反逆に加担したり自己犠牲の精神を発揮していたというのも、そんなキャラだったっけ?という気分にはなってしまった。人口記憶を作ってる研究所とか老人ホームなど今作で新たに登場した施設もちょっと設定浮いている感じで違和感があったんだけど老人ホームでガフが出てきたところはテンション上がったよ。

 

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   それと予告編見てこれも分かっていたことだけど、ハリソン・フォードに全くデッカード感が無い、というかただのハリソン・フォードにしか見えなかったのは致命的というか悲しかった。ハン・ソロインディアナジョーンズの老けた姿なら今のハリソン・フォードで問題ないけど、デッカードだと別人としか思えなかった。

 

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   ハリソン・フォードといえば、インタビューでライアン・ゴズリングを主役に推したのは俺だみたいなことを言っていたが他のスタッフやライアン・ゴズリング自身は全くそんなこと言っていなくて、ひょっとしてハリソン・フォードが存在感発揮したくて話を盛っているんだろうか。だとしたらなかなか微笑ましいと思ったんだけど。

 

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   で、結論としては、オリジナル版はリドリー・スコットだけでなく、名もないスタッフ達の愛情とこだわりで作り上げられたものだというのはメイキングその他で知られていることなので、リドリー・スコット本人が正統な続編と認めようともこちらの心の中では別物として扱ってもOKだろうという勝手な言い分を前提として今回の「2049」はSF映画として面白かったし好きな作品、というところに落ち着いた。つまり「ブレードランナー」の続編ということでは認めないけど単体作品としては好きという分裂気味の結論なんだけど。

 

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    あと前日譚の短編が三本公開されていたのも観たけど「モーガン プロトタイプ L-9」が良作だった期待のリドリージュニア、ルーク・スコット監督の二篇は本編のついでに作った感じで可もなく不可もなくという印象だった。しかし渡辺信一郎監督のアニメ短編は作画クオリティ凄くて、絵見るだけでも価値有りの作品だったよ。

 

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映画『ブレードランナー2049』日本版予告編 - YouTube

【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」 - YouTube

【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2036:ネクサス・ドーン」 - YouTube

【渡辺信一郎監督による前奏アニメ解禁!】「ブレードランナー ブラックアウト 2022」 - YouTube

 

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