yudutarouログ

Twitter(ID:yudutarou)で観た映画を確認しようとしたら非常に面倒だったので、メモになるつぶやき(主に映画とか音楽)を移植。なので2014年まで時系列バラバラ。

夜明け告げるルーのうた (2017・日)

   両親の離婚によって父(鈴村健一)とともに東京から漁港の田舎町・日無町で舟屋と傘作りを営む祖父(柄本明)の元へやってきた中学3年生のカイ(下田翔大)は両親への複雑な気持ちを口に出来ぬまま鬱屈した毎日を送っていた。そんなある日、独りで密かに大好きな音楽を制作していたカイのもとに、その音楽に誘われるように人魚の少女ルー(谷花音)がやってくる。島の伝承では人魚は害を為す存在とされていたが、天真爛漫な彼女との交流の中でカイは少しずつ心を開いていく。クラスメイトの国夫(斉藤壮馬)と遊歩(寿美菜子)のバンド「セイレーン」にも参加するようなったカイとルーだったが「セイレーン」で一緒に歌い踊るルーの存在は遊歩の祖父で町の唯一の産業を牛耳るえびな水産の会長(菅生隆之)の目にもとまり、会長たちはルーを町おこしに使おうと画策を始める。しかし人魚が厄災をもたらす存在と信じる町の人々との軋轢から町は混乱し、カイたちもそれに巻き込まれていくのだった…。

監督、脚本:湯浅政明、脚本:吉田玲子、キャラクターデザイン原案:ねむようこ、キャラクターデザイン、作画監督:伊藤伸高、フラッシュアニメーションチーフ:アベル・ゴンゴラ、ホカンマヌエル・ラグナ、美術監督:大野広司、音楽:村松崇継、アニメーション制作:サイエンスSARU。

 

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   アニメーションとしての動きを見ているだけで凄く楽しくて、特にルーや人魚犬の動きは気持ち良く、湯浅作品ならではのオリジナリティが炸裂していて素晴らしかった。それだけに動機付けが曖昧なままに進んでいく物語、時折挿入される監督の持ち味のサイケデリック場面での躁状態と作品のトーンとの齟齬、既存曲を主題歌に据えてること、先行作品とダブってしまったイメージなどが勿体無く思えてもしまった。

 

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    何のために何をやってるのか、何を救っているのか、など物語を推進させる動機そのものが曖昧で、クライマックスも盛り上げる為に盛り上げているようにしか思えなかった。人魚たちはどうしてそこまで捨て身で人間を救うのか理解出来ないし、むしろルーのパパ(篠原信一)とか人間皆殺しスイッチ入ってもおかしくないだろうと思ったが。単にピュアな奴らということなのか?

 

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    細かな部分では若い頃に旦那が人魚に殺されたと思い込み、ずっと人魚への恨みを糧に生きてきた老婆(青山穣)が、実は人魚に救われて自身も人魚となって生きていた旦那に迎えにこられて、「何で今頃〜」みたいなことを言っていたが、ほんとにその通りで、彼女は何十年と復讐と恨みだけに人生を捧げてきて、それが人生の最後になって全くの誤解だったと知らされ、そこでいくら自分もこれから人魚と化して永遠を生きることになるのだとしても、愛した男は昔のままの美男子で自分はヨボヨボの姿、しかも精神は荒廃しきっているという状態で共に永遠を生きるのってかなり残酷な話だと思うんだが。旦那は彼女を迎えに来るならもっと早く現れるべきだし、ここまで放置してたなら彼女の信念のままに人生を全うさせてやれよと思った。遊歩にしても都会に憧れるだけでなく、現実に今やれることをちゃんとやれるようにさせるという意図でのことだと思うが、クライマックスで人助けをすると言って避難のための町内放送をやりだして、それが成長譚のように描かれていたのだけど、それが遊歩がやるべきことなのか、放送はちゃんと慣れた先輩がやってるんだから遊歩のやるべきことは権力者の娘として暴走した身内を何とかするとか色々あるんじゃないのか、と思った。そんな感じで脇のキャラクターたちのストーリーをちゃんと回収してあげようとするあまり、色々と余計なお世話になってしまっていて、結局ストーリーのピントがぼやけているように感じた。

 

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    それと祭りで主人公たちのバンド演奏でルーが楽しく踊っていたら、実際に音を鳴らしていたのは雇われたおっさんたちだったという件、そこでルーはぎゃーとなって、こんな音にノれるかってなるんだけど、演奏してるのが誰であれ、音楽にヴァイブスがあったから踊ってたんじゃないの?と思った。ショックを受けた、というのは理解出来るんだけど。 

 

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    あと主題歌に既存の有名な楽曲を持って来たのは何でかな、と思った。既存の曲だとテーマに合致していることよりもこれまで消費されてきたイメージの方が先行してしまう。どうせなら制作協力に名前がクレジットされてたオオルタイチに渾身のポップソングを依頼すれば『君の名は。』のRADWIMPSみたいになったかも知れないのに、と思った。

 

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    それとこれは意図しないでだろうし、良くない訳でもなく、制作時期が被っているというのもあるんだろうけど、観ていて色々と既視感があった。人面魚的な可愛い女の子に手足が生えてくるというルーのキャラクターはデザインも含めてポニョを想起してしまうし、町内放送を多用する件は『君の名は。』が思い浮かぶ。あとこれは予告で観ただけだけど、ルーが魔術的に海水を操る際の水の表現は『モアナ』と被ってしまっていた。

 

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    その町内放送の部分など災害に対処する描写の比重がかなり大きくて、それも作品のバランスを崩していたように感じた。そのことは現実の災害を踏まえた上で人々が連携して避難を行なっていく段取りの重要性を反映させようという真面目さから来ているのかな。

 

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    などと色々気になったことをあげてしまったけど、長編初だという全編フラッシュアニメーションによる動きの表現、ルーや犬人魚たちの愛らしさを見ているだけで凄く楽しかったし、気になった部分も作品全体の雰囲気を損ねるものではなく、好きな映画だと思えたからこそ気になったという感じで、もっとああして欲しい、こうして欲しいという妄想が思わず膨らんでしまったのだった。

 

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『夜明け告げるルーのうた』予告映像 - YouTube

 

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メッセージ (2016・米)

     世界8箇所の空中に突然現れた巨大な宇宙船。各国が対応に追われる中、アメリカ政府はウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)をリーダーとして、言語学者ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)、物理学者イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)らによる特別チームを編成しこれに当たった。宇宙船には後にヘプタポッド(七本脚)と呼称される知的生命体が搭乗しており、ルイーズたちは未知の言語と文字を持つ彼らとのコミュニケーションを図り、出現の目的を探り始める。ルイーズはおそらく離別してしまったと思われる娘の記憶のフラッシュバックによって混乱しながらもヘプタポッドの文字の解読を進めていくが、世界秩序は宇宙船の出現によって大きく揺らぎ始めていた…。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、脚色:エリック・ハイセラー、原作:テッド・チャン、撮影:ブラッドフォード・ヤング、プロダクションデザイン:パトリス・ヴァーメット、編集:ジョー・ウォーカー、音楽:ヨハン・ヨハンソン、視覚効果スーパーバイザー:ルイ・モラン。

 

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     ネタバレ全開です。

 
     とは言えそもそも世界戦争が始まってしまうかも⁉︎という物語の筋の一本は、そのキッカケを作りそうになるのが中国だという時点で既にネタバレじゃないか、と思ったが。最近のハリウッド映画での中国の扱い方は、ちょっと敵対的で価値観が共有出来ない相手かもと思わせておいて最終的には共闘出来る大物というところに着地させるパターンになっているので、今作で登場する中国軍の実力者シャン将軍(ツィ・マー)も強面だけど分かり合えちゃうんでしょ?と思えてしまうし、多大な資本をハリウッドに投下している中国を悪者にする訳ないやん、という裏事情まで透けて見えて萎えてしまった。

 

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     もっとも今作の本筋はそこじゃない、というのも分かってはいる。しかしせっかく巨大宇宙船がやってきているのに人物のアップばかり見せられる上にもったいぶった演出が続いて、だからと言って異文化間のコミュニケーションを丁寧に描いているかと言うと、劇的にコミュニケーションが捗る部分や主人公が最後に辿り着く思考への過程とか肝心な部分が描かれていないのはかなり不満だった。言語の解析の部分は監督ももっと時間をとりたかったと言っていたので、大作映画としてのバランスの為に泣く泣く削ったというのはあるようなんだけど、それでも主人公の傍らにいる物理学者が全く何も仕事をしていないことも含めて、ちょっとおかしなバランスになっていると思った。

 

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     原作においてはチームで、言語、物理双方から相互理解を進めていき、その過程において思考が変容していくことが本筋としてあったのだけど、今作ではそこを省いて国際的な危機という取って付けたようなスペクタルを加味した上に主人公一人が異星人から選ばれて劇的な意識の変容を行い、ヒロイックな活躍をするというおよそ原作のテイストから逸脱した改変を行った果てに様々な矛盾点だけが際立つということになっていて、なんだかな、という気がした。何より『ドラえもん』のエピソードにおける、「結局誰がこのマンガを描いたんだろうか」というタイムパラドックスを、ギャグじゃなくて大真面目に、しかもドヤ顔でぶつけてくるクライマックスのSF仕掛けは、もうちょっとSF的醍醐味を味あわせて下さいよ〜と思ってしまった。

 

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    あと主人公及び人類の、時間を流れていくものとして認識している世界と、始まりと終わりを円環状態として認識するヘプタポッドたちの世界観は、それぞれの世界に対する認識が異なっているというだけのことで、互いに等価だからこそノンゼロサムゲームが成立するはずなんだけど、この映画での描かれ方だとヘプタポッドがその認識方法を一方的に伝授して人間が超能力を獲得するという形に見えてしまっていて、それなら劇中でわざわざノンゼロサムゲームについて触れる必要がないとも思った。

 

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    そして何も得るものもないのにヘプダポッドがわざわざ飛来してきているのも意味不明で、3000年後に人類に救ってもらう為、などと語らせてはいるが、そんな理由は高速を超越して時間が無意味になっていて、存在の消滅も存続も全てが結論として見えている彼らの行動理由としては全く説得力を感じない。単にモノリス的な超存在にしたほうがそれっぽいから、というふうにしか見えなかった。

 

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    主人公はヘプダポッドの言語を学ぶことで彼らの世界認識を得て、未来を見通せる能力を発現させるのだが、見えている未来世界をあるがままに受け入れてただ流れのままに生きていくというのはどういう心情なのか。死や別離の到来を分かった上で虚無感と諦観に支配されないで毎日をかけがえのないものとして受け入れていくのは素晴らしいことだとは思うが、そんな神のような生き方を主人公が選び取れる根拠が分からないし、クライマックスになって急にヘプダポッドとスムーズに意思疎通が出来るようになるのと同様に飛躍し過ぎとしか思えない。

 

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    原作において過去未来に渡って曼荼羅のように世界を認識するようになる主人公というのは別に未来を分かった上で敢えてそれをなぞっていくというわけではなく、娘の存在を直線的な時の流れの中で感じ取るだけでなく、時の呪縛から解放された世界認識の中で娘が常に遍在するようにも感じられるようになるというもので、それによってただ生まれて死んで喪失してしまうだけという悲しみとは別の、何か希望のようなものが淡く浮かび上がってくるところが感動的だったのに、流れのままに進むとは言えそれを自らの選択によって勇敢に選びとっていく映画版はそれを台無しにしてしまっているように思えた。

 

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    と、なんか文句ばかり垂れた感じになってしまったけど巨大宇宙船が浮かんでいる図はカッコいいし、序盤でヘリの爆音が日常を消し飛ばしてしまう描写とかも好きだったりしたので、SFということで過剰な期待と要求を持った自分が悪い気もする。それに、もうこれでブレードランナー続編には不安しかなくなったので、あとは上がる一方の予定ということで良しとしよう。

 

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映画 『メッセージ』 予告編 - YouTube

 

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スウィート17モンスター (2016・米)

    ひねくれ者の高校生ネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)は高校では浮いた存在。それでも唯一の親友クリスタ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)と周囲に毒づきながら過ごす日々を楽しんでいた。しかしクリスタが自分と正反対で人気者の兄ダリアン(ブレイク・ジェナー)と付き合い始めてしまい、疎外感を感じ始める。そんなネイディーンが、彼女を持て余す母親(キーラ・セジウィック)や、はぐらかしながらも相談に乗る教師ブルーナー(ウディ・ハレルソン)、彼女に恋するアーウィン(ヘイデン・ゼトー)らと関わりながら自分自身を見つめ直していく物語。
監督・脚本:ケリー・フレモン・クレイグ、撮影:ダグ・エメット、編集:トレイシー・ワドモア=スミス、音楽:アトリ・オーバーソン。

 

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    キャラといい音楽といい昔ながらのちょっとナードな青春物で17歳女子の話を装いながらおっさん向けのノスタルジー映画なのでは、とも思った。しかし監督は女の人だった。大人への分岐点という不変のテーマだが、出てくるキャラクターの類型が80年代の青春映画と変わらず、主人公の趣味嗜好もそれらに登場してそうなタイプで、何だかもっと今の物語があるんじゃないの?という気もした。

 

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    なので物語自体は安心して楽しめる居心地の良さだが、自分と違う他者を受け入れていくプロットにしては、真逆の存在として描かれている兄との確執と和解の輪郭がぼやけているように感じた。兄はスポーツ万能で人格者という設定だが、ナードな妹に対して特に嫌味を告げることもないし、妹と同じタイプのクリスタをパートナーに選んだことからも学園カーストを気にしているようにも見えず、そもそもの最初から妹のことを理解しているようなので、この兄妹の和解は単に主人公が兄のことを素直に認めたというだけの一方的なものでしかないように思えてしまった。だから主人公がホントに反目したり嫉妬すべき相手は彼女に片想いするアーウィンのほうじゃなかったかとも思った。彼は資産家の息子で芸術的才能もあり、ガタイもいいという、どう考えても世間の勝ち組だと思うんだけど。

 

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    良かったのはウディ・ハレルソン演じる先生で、主人公と同様のタイプで社会的にはハズレ者に見えても実際には充実した人生を送ることが出来るという希望の体現者になっていて、こういう人を登場させてくれるというのは主人公と同世代で現状に馴染めずにいる受け手にとって励ましになると思った。あと主人公の女の子が『トゥルー・グリット』の子供だということに全く気づいてなかった。デカくなってるけど、確かに顔は同じだ。

 

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映画「スウィート17モンスター」日本版予告 - YouTube

 

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カリキュレーター (2014・露)

    惑星XT-59では住民が惑星管理システムの管理下におかれ、それに背いた者には謎の有機生命体の跋扈する果てしない沼地へ追放されていた。それは死刑に等しい刑罰だったが囚人たちの間には追放地点から300キロ離れたところにある「幸福の島」へ辿り着ければ救われるという噂が拡がっていた。そんな中、沼地へ放たれた囚人集団があり、そこでは政府の事情を知るらしい謎めいた男エルヴィン(エブゲーニイ・ミローノフ)と悪名高い犯罪者ユスト(ヴィニー・ジョーンズ)が対立していた。ほとんどの囚人たちがユストに従う中、正義感を持った女性クリスティ(アンナ・チポフスカヤ)はエルヴィンに同調する。そしてエルヴィンとユストのグループは対立しながらも、それぞれ「幸福の島」を目指して荒地の奥へと進んでいくのだったが…。
監督、脚本:ドミトリー・グラチョフ、脚本:アレクサンダー・グローモフ、アンドレイ・クトゥーザ、撮影:イヴァン・グドコフ、VFXニキータ・アルグノーフ、音楽:アレクセイ・アイギ。

 

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   どうでといいとは思うけどネタバレしてます。

 

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    せっかくのロシアSFだけど、独特の違和感という醍醐味を感じられるのは表面的な物語の展開についてのみで、基本はB級ハリウッド映画的。そういうものと思って観れば女優はショートカットが凛々しく綺麗だし、ゲームみたいな映像も味として楽しめた。

 

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    一本道を淡々と進んでいくストーリーは退屈で、描かれている統制社会は現在のロシアのメタファーかと思ってみていたが、エンディングの展開を考えるとソビエト連邦を想定していたのかな。どちらでもいいんだけど…。オープニングのCGは安っぽいとは言え大画面なら迫力あっただろうレベルだった。あと衣装がダサかったのは残念。

 

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    それにしてもラストは脱出機は1人乗りなのだ!という展開を持ってきながら無理矢理2人乗りました、であっさり解決ってってなんなの?と異文化を感じる瞬間だった…。

 

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カリキュレーター - YouTube

 

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スプリット (2017・米)

    家庭に問題を抱え、周囲と打ち解けずに過ごしていた女子高生ケイシー(アニヤ・テイラー=ジョイ)は同級生のクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)、マルシアジェシカ・スーラ)とともに見知らぬ男に拉致され監禁される。男はデニス(ジェームズ・マカヴォイ)といい、23の人格を持ったDID(乖離性同一性障害)患者で、未だ現れぬ24番目の人格「ビースト」の生贄として少女たちを拉致したのだった。必死の脱出を試みるケイシーたち、そしてデニスの主治医である精神科医フレッチャー(ベティ・バックリー)もデニスの異変に気付き、真相を探り始めるのだった…。
監督・脚本:M.ナイト・シャマラン、製作:ジェイソン・ブラム、撮影:マイケル・ジオラキス、プロダクションデザイナー:マーラ・ルペル=スクロープ、音楽:ウェスト・ディラン・ソードソン。

 

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    多分ネタバレしてます。

 

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    前作『ヴィジット』があまりに良かったので初めて超楽しみにしてたシャマランの新作、冒頭からの誘拐シークエンスやオープニングクレジットのセンスもキレまくっていて、テンション高まった。その後の密室劇的なサスペンスは、とりあえず雰囲気だけ醸し出してダラダラやるという『ヴィジット』で覆される前のシャマラン映画の展開にも思えて、元のシャマランに戻っちゃったかなと不安も感じたが、ヒロインのアニヤ・テイラー=ジョイが可愛いいし、マカヴォイ七変化が凄まじ過ぎて全く飽きることがなかった。

 

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    マカヴォイ七変化はどのキャラクターも見事に各人格が憑依していて、観ていてそれぞれのキャラクターの心情に移入させられた。ある人格を別の人格を装って演じるという多重構造をすんなり理解させる演技力が凄いし、9歳児キャラで気持ち悪いダンスを全力で踊るという笑いと恐怖のないまぜになった場面もたまらなかった。

 

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    あと、あどけなさとミステリアスな深みを兼ね備えた主人公のアニヤ・テイラー=ジョイがとにかく可愛かったし、シャマランもフェティッシュ全開で演出しているのが伝わってきた。フェティッシュな演出と言えばおばあさん(ベティ・バックリー)の太ももを執拗に画面前方に映し出す場面は一体なんなのかと思ったけど。

 

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    多重人格を犯罪に絡めて描くというのは今の時代でいくと前作同様キワキワというかアウトな気がするが、あまりにも作り物として提示してあるから許されるかなとも思った。
で、段々いつもの感じになっていく物語運びはこれまでの集大成的な作りにもなっていたし、演出のステージが一段上がっている印象を受けた。

 

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    そして今回のどんでん返しに当たるまさかのシャマランユニバース立ち上げ。やっぱりこの人時流に乗った儲け話が上手なだけじゃないかという気がしないでもないが、凄く楽しみ。そもそも主人公の女の子の物語としては完結していないので、続編はやってくれないと落ち着かないし。次も期待パンパンにして待っておこう。

 

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夜は短し歩けよ乙女 (2017・日)

     京都、四条木屋町。大学OBの結婚祝賀会に参加していた「黒髪の乙女」(花澤香菜)は酒と大人の世界への憧れを満たす為にひとり夜の先斗町へ向かう。乙女は夜の街で中年男・東堂(山路和弘)や大学の変わり者・樋口師匠(中井和哉)、その恋人(?)羽貫さん(甲斐田裕子)らと出会いながら、謎の富豪李白麦人)との呑み比べや古本市巡り、学園祭に参加するなど、とても一晩と思えない長い夜を過ごしていく。そしてそんな乙女を恋慕いながらも積極的に踏み出せないでいた「先輩」(星野源)も彼女の後を追い、何とか思いを伝えようと奮闘するのだが…。
監督、絵コンテ:湯浅政明、脚本:上田誠、キャラクター原案:中村佑介、キャラクターデザイン、総作画監督:伊東伸高、音楽:大島ミチル、アニメーション製作:サイエンス SARU。

 

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    ヒロイン乙女が幻想的な京都の夜をずんずん歩いて行く映像は、独特の美術とキャラクターの動きのテンポ、演じる花澤さんの声質が絶妙にハマって、ずっと見ていたい気持ち良さだった。それだけの映画でもよかった。湯浅監督のハイテンションでふざけたサイケデリックな演出と中村佑介のキャラクター、不思議な映像にトレースされた夜の京都、アジカンの主題歌、それらが見事に融合してエンターテイメントの枠を外すことなく独自の世界を提示していて、擬似酩酊出来る楽しさに満ちた映画だった。

 

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    で、映画が楽しかったので後追いで原作も読んでみた。映画版では「黒髪の乙女」の歩みが停滞する三幕目辺りが監督の真骨頂とも言えるサイケデリックで派手派手しい場面が多く繰り広げられるものの少し退屈に感じたり、「黒髪の乙女」の物語と思ってみていたら「先輩」のこじらせ恋愛という小さな物語で収束していくクライマックスを唐突に感じたりもしたが、原作では「先輩」の視点と心情変化が丁寧に織り込まれていたので「黒髪の乙女」「先輩」双方の物語として納得出来る流れになっていて、ナルホドとなった。しかしそれを一夜の物語に凝縮して幻想性を拡大しつつエッセンスをまとめて再構築した映画版の作り方にも同時にナルホドと納得出来て、結論としては原作、映画版ともに良かった、となった。

 

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    あと映画版のほうは鑑賞後、時間が経過するにつれて、呑み比べや詭弁踊りなど「黒髪の乙女」の巡った夜の京都の幻想的イメージがジワジワ頭の中を侵食して、また映画世界に浸りたいな〜という気分になってくる中毒性が強烈にあって、これはやはり傑作だ、と改めて思った。

 

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『夜は短し歩けよ乙女』 90秒予告 - YouTube

 

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キングコング 髑髏島の巨神 (2017・米)

    観測衛星ランドサッドにより謎の島「髑髏島」の存在が確認され、米政府機関モナークの調査団が派遣される。メンバーは髑髏島に巨大生物の存在を確信するビル・ランダ(ジョン・グッドマン)を中心に、地質学者ヒューストン・ブルックス(コリー・ホーキンズ)、護衛役としてサイゴンでくすぶっていたところをリクルートされた元SAS(イギリス陸軍特殊空挺部隊)大尉ジェームズ・コンラッドトム・ヒドルストン)、戦場カメラマンのメイソン・ウィーバーブリー・ラーソン)らで、現地への上陸にはベトナム撤退命令で生きる目的を失いつつあったプレストン・パッカード大佐(サミュエル・L・ジャクソン)率いる攻撃ヘリ部隊が同行することとなった。しかし島内へ入った彼らは巨大な二足歩行生物コング(テリー・ノタリー)を始めとすると未知の巨大生物たちの襲撃に遭い、ジャングルの中で散り散りになってしまう。そんな中、コンラッドたちは太平洋戦争中に島に不時着して取り残された残留者ハンク・マーロウ中尉(ジョン・C・ライリー)と遭遇、彼の案内で原住民たちの村へと導かれ、コングや髑髏島の秘密を知らさるのだった…。

監督:ジョーダン・ボート=ロバーツ、脚本:ダン・ギルロイ、マックス,ボレンスタイン、ストーリー:ジョン・ゲイティンズ、製作:トーマス・タル、撮影:ラリー・フォン、美術:ステファン・デシャント、音楽:ヘンリー・ジャックマン、視覚効果:スティーブン・ローゼンバウム、ジェフ・ホワイト。

 

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    正直今さらキングコングは無いだろうとは思いつつ、一応怪獣映画なのでちびっ子2人を引き連れて観に行ったら凄い面白かった。

 

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    まず、暴れん坊で美女に弱く、都会に連れてこられて同情を買うキングコング、みたいなマンネリプロットを一切無視して新鮮な映画になっていたのが嬉しかった。コングを神的存在にしてしまいつつ、それでも守護神としての共感も得られるヒーロー像にしていたのは、これからゴジラとタメを張っていく怪獣として申し分ないキャラクターだった。

 

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     で、巨大感を存分に感じさせてくれる怪獣たちの造形とバトルにはテンションが上がったし、ベトナム戦争時の米軍対怪獣というアイデアも良かったが、何よりコング対オオトカゲ対サミュ叔父の三大怪獣髑髏島決戦というのが最高で、怪獣映画として大満足だった。

 

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    そんな風に怪獣映画としての要点を押さえつつ、退屈になりがちな前半パートもチーム物のアプローチで曲者たちが集まっていく過程を楽しませてくれた。集まってくるキャラクターたちはトム・ヒドルストンが真っ当なヒーロー役というのをカッコよくこなしていて、確かにこれはボンド役をさせたくなる立ち姿だと思わせるし、ブリー・ラーソンのバタ臭い顔立ちも映画の時代設定に合っていて良かった。ただやっぱり主役は怪獣なのでトム・ヒドルストンは微妙に影が薄かったけど、トカゲ軍団との戦闘シーンで突如日本刀アクションをスローモションで見せるという「男たちの挽歌II」ばりの謎の見せ場が用意されてたりして、ちゃんとキャラ立てしようという気概も伝わってきた。

 

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   しかし人間側で一番強烈だったのはやはりサミュエル・L・ジャクソンで、その存在感は怪獣側と遜色ない迫力。コングと交互に顔面どアップを交互にスクリーンに映し出すなど演出のほうも怪獣枠扱いなのがおかしかった。

 

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    ちなみに小4の長女は気に入ってくれたが、小1長男はコング登場シーン全て座席で丸くなって隠れてしまってた。確かにこの音と映像の迫力はちびっ子にはちょっと強烈過ぎたかも。それでも終わった後、面白かった?と訊いたら面白かった、とは言ってたけど。

 

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映画『キングコング:髑髏島の巨神』日本版予告編【HD】2017年3月25日公開 - YouTube

 

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